27.

 

体のあちこちが痛い。

一番痛みが強い首元に、無意識のうちに手を伸ばすと、何かの布が巻かれていた。

「ん・・・」

 ゆっくりと開けた目に飛びこんだのは、赤い髪を左右の耳の横で丸くまとめた、小さな女の子の顔。

 大きな目を見開いて、まじまじと自分を見ている。すぐに、はっとしたような表情に変わって、彼女は視界から消えた。

「ママ!!ママ!!お姉ちゃん、目ぇ覚ました!!」

 そのかわいらしい表情と声に、自然と笑みがこぼれて、それから自分が暖かいベッドに寝ている経緯を思い出そうとした。

 ぼんやりしていると、女の子と同じ髪を持った、30代に見えるの女性が目の前に現れて、柔らかな笑みを向けている。

「どこか痛い所はない?目に見える傷は手当てしたんだけど・・・」

 そう言ってから、急に顔を曇らせて涙声を出した。

「・・・ひどい事を・・・」

 彼女は手を伸ばして、こちらの額にそれをあててから、そっと髪をなでた。その暖かさにほっとしてから、女性の様子に不安を覚えた。気がつくと女の子までが悲しそうな顔で、目に涙を溜めている。

 即座に何があったのかを思い出してしまった。

 恐怖がよみがえって、体が震え出す。

「もう大丈夫なのよ。ここは大丈夫。・・・あなたを傷つけるものは何もないわ」

「蒼羽、さん・・・」 

髪をなでてくれるその手に、蒼羽の顔が頭に浮かんで体を起こす。つぶやくと、女性の手が止まって、傍らの女の子に声をかけた。

「ディル、急いで蒼羽君を呼んできてくれる?」

「うん!」

 真剣な顔で返事をするなり、女の子が飛び出して行った。

「あの・・・ここは?」

 クリーム色の壁紙が張られた、天井の高い部屋。視線を右に移すと、小さな子供用の机が目に入った。自分が寝ているベッドカバーは淡いピンクで、どうやら、ディルと呼ばれた女の子の部屋らしい事が判る。

「私はナスタチウム。みんなナスティと呼ぶの。フェンの母です」

「あ・・・」

 高い位置でひとつにまとめ上げられた、鮮やかな赤い髪を見て、フェンネルの髪を思い出した。柔らかな表情に戻って、ナスティが口を開こうとした時、部屋の入り口に蒼羽が姿を見せた。

 

 

 

 

「・・・緋天」

 ベッドの上に起き上がった緋天を目に入れて。彼女を呼んだ声は、掠れて小さく響く。ゆっくりと緋天に近付いて、その表情を伺う。

「蒼羽君、落ち着いたら呼んでちょうだい」

 部屋の入り口に立っていたディルの手を取って、ナスティが扉を閉めて出て行った。

 その途端、緋天の目から涙がこぼれ落ちる。

 何も言わずに腕を伸ばして緋天を抱きしめた。情けなくも、それしかできない自分を呪いたい。

「・・・っ!!そう、う、さん。蒼羽さんっ・・・」

 泣きながら自分の名前を呼んで、小さく体を震わせる。何をされたか、とても聞ける雰囲気ではなくて、涙を落とす緋天をきつく抱きしめてしばらく黙っていた。細い首に巻かれた包帯が目に入って、激しい怒りがまた沸き上がってくる。

 緋天の首元に、一番深い切り傷があって、そこから鎖骨にかけてもいくつか赤い線が走っていた。じわじわと追い詰めるように緋天を脅かしていたのが、誰の目にも明らかで、再び奥歯を噛みしめる。

 緋天の震えが徐々に収まって、ふいに体を離して自分の顔を不安げにのぞきこんだ。その目にはまだ涙が浮いていて、胸が締め付けられる。

「・・・あの人達、捕まった・・・?」

「・・・全員捕まった。もうあいつらの事は考えるな・・・」

「うん・・・」

 小さくうなずいてから、緋天が困ったように笑う。

「あのね・・・?何もしない内に、あの人達急に逃げて行ったの・・・。それでも罪になる?どれくらいの罰になるかな・・・」

 その言葉に、もうずっと押し潰されそうだった暗く重い気持ちが急速に薄れていく。緋天を傷つけた事に対する怒りは変わらないが、どうやらフェンネルのおかげで危うい所で止められたようだ。

「後で聞いてみる。あいつらは他にも余罪がありそうだから・・・」

「そっか・・・」

 ため息をついた緋天に、ようやく微笑を浮かべる事ができて。彼女の頬をなでる。

「もう2度と緋天の前には現れないから・・・無事で良かった・・・」

「・・・ここ、フェンさんのお家なの?」

「ああ」

 緋天が小さく笑みをこぼして、口を開く。

「さっき、小さい女の子いたの。かわいかった」

「ディルだ・・・。歩けるか?ちょっと待ってろ。フェンの母さん呼んでくる」

 緋天の頬に触れた手が、血に汚れたものでなくて良かったと。安堵して立ち上がる。

 もしかしたら、自分は。

 彼女の傍にいる権利を、今日一日でふいにしていたのかもしれない。

 

 

 

 

 蒼羽が部屋を出て行って、すぐにナスティを連れて戻ってきた。

「お姉ちゃん、だいじょうぶ?」

 ナスティの後ろからディルが顔を出して、泣きそうな顔で自分を見上げていた。

「うん。もう平気だよ」

 笑って答えると、ぱっと顔を輝かせて満面の笑みを浮かべる。

「よかったねー。ママ、お姉ちゃんだいじょぶだって!」

「本当に大丈夫?気分が悪かったら、まだ寝てた方がいいわ」

 心配そうな表情を見せて、ナスティが先を続ける。

「・・・このまま蒼羽君と帰る?泊まっていってもいいのよ」

「大丈夫です。手当てして下さって、ありがとうございました」

 ベッドから立ち上がって、それから自分の着ている服が、ゆったりとした、丈の長いワンピースに変わっている事に驚く。

「あ・・・服・・・」

「それパジャマなの。ちょっと待っててね、着替えを持ってくるから。あ、そうだわ、ついでにお風呂に入った方がいいわね?」

 そう言われて、思わずうなずいた。触れられた事が、確かに気持ち悪くて、思いっきり体を洗ってしまいたい。

「ディルもー!ディルもお風呂入る!!」

 いつのまにか右手にすがって、ディルが声を上げた。

「お姉ちゃん、一緒に入ってもいい?」

「え・・・あ、うん。いいよー」

「あらあら。ごめんなさいね」

「いえ、楽しそうですし・・・。蒼羽さん、待ってて、くれる?」

 ディルと手をつないだまま、蒼羽に声をかけた。そこには一瞬困惑した表情が浮かんで、ディルに目をやってから彼は口を開く。

「ん。急がなくていいぞ」

「蒼羽お兄ちゃん・・・うらやましい?」

 手をぶらぶら遊ばせながら、フェンネルの妹である、と改めて認識させる得意げな笑みを浮かべてみせて。反応に困ってしまう。恥ずかしさに蒼羽の顔を見れないまま部屋を出た。

 

 

「う・・・っわー・・・すごい」

 ディルに手を引かれて浴室の扉を開けると、そこにはローマの大浴場のような空間。

「えへへ・・・。あのね、お店の職人さんがいっぱいいるから、うちのお風呂大きいの!!」

「すごいねー!いいなぁ・・・こんなすごいお風呂に毎日入れるんだ」

「じゃあ、お姉ちゃん、また遊びに来てくれる?そしたら、お風呂入れるよ!」

「えっ?いいの?」

「うん!ディルね、ずっとお姉ちゃんとお話したかったの。だってお姉ちゃんはアウトサイドなんでしょ?」

「うん。そうだよー」

「ディル、お菓子屋さんになりたいんだ!それでね、穴の向こうのお菓子も知りたいの。お姉ちゃん、協力してくれる?」

「そっかぁ。あたしに出来ることなら何でもするよ」

「わーい!ありがとー」

 

 ディルと2人で泡だらけになりながら話をしていると、彼女の楽しくてたまらないという空気に感化されていって。自然と穏やかになっていった。

 

 

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