25.
「残念だったな、蒼羽。入れ違いだ。緋天さんはさっき帰ったよ。会わなかったのか?」
思ったよりも早く仕事が終わったから、緋天を迎えにセンターまで行くとオーキッドが苦笑を浮かべてそう言った。
「いえ・・・」
「今の時間は人が多いからなぁ。見逃したんじゃないのか?」
彼のその言葉に。疑問を感じた。緋天を見逃す事はない。自信がある。
「蒼羽。そんな顔しなくても、急いで戻れば追いつくだろう?・・・蒼羽!?」
何か言いようのない不安を感じて、踵を返す。背中にオーキッドの呼び止めるような声がかかったのをそのままにして、外へと足を速めた。
焦る気持ちを抑えながらセンターを出る。人の間をすり抜けながら、足早に歩いていると後ろから声をかけられた。
「蒼羽!!おい、蒼羽!」
振り向くと見知った顔が、めったにしない真面目な表情で立っていて。
「・・・フェン?」
「うちの店に来た客が、この前騒ぎを起こした連中を見かけたらしいんだ。親父がそれ聞いて蒼羽に知らせとけ、って言ってさ。まあ、お前なら返り討ちにできるけどな。ちょっとやっかいな事に、あいつら、結構でかい組織に属してたみたいで、この前も大した事してないから、ってすぐに解放されたんだよ。警備兵の奴ら、悔しがってた。他にも叩けばほこりが出そうなのに、立派な弁護士さんが出張ってきた、って」
背筋を冷たいものが這い回る。
「・・・蒼羽?」
「緋天が見当たらない・・・」
「見当たらない、って・・・おい、まさか・・・」
顔をしかめてフェンネルが辺りを見回した。
「すれ違ったら、絶対判るはずなんだ・・・。嫌な感じがする」
「・・・勘違いかもしれないだろ・・・?」
勘違いであってほしい。
じわじわと焦燥感が広がっていく。
「違う」
つぶやくと、フェンネルが困ったような顔で少し笑っていた。
「そんな顔すんなよ・・・よし、緋天ちゃんを探そう。センターから帰る途中だったんだな?そうだ、万が一って事もある。タチの悪いのが街にいるのは変わりないし。警備兵もあいつらがどこにいるか知っておいて損はないな・・・。お前はベリルさんの所に戻ってみろよ。もう緋天ちゃんが戻ってるかもしれないぞ」
「・・・ああ」
「だからー、そういう顔すんなって。オレがイジメてるみたいだろ・・・・・・。平気だって。緋天ちゃんの事、みんな気にしてるんだからさ。誰かが見てるから、すぐに見つかる」
こんなに嫌な気持ちを味わうのは何故だ。
迎えに行くまでセンターにいろと、言っておけば良かった。
緋天に何かあったのだと決まった訳でもないのに。
何で自分は笑ってフェンネルに答えられないのだろう。
薄暗い路地に入ってしまった。
表通りのがやがやとした音が聞こえる距離なのに、ここには誰も見当たらない。ガラの悪い、5人の男達以外は。
「さすが、兄貴」
路地に入った途端、ぴったりと横にはりついていた男が離れて、その代わりに黄色い目の男に腕を引っ張られた。
そこには派手な服を着た3人の男が待ち構えていて、声を発したのはその中のスキンヘッドの男。
「よう、久しぶりだな。予報士の彼氏は元気かい?」
見覚えのある顔。かなり上から自分を見下ろすその男は、初めてセンターに行った日の帰り道、蒼羽に撃退されたならず者だった。
「・・・・・・」
「怖くて声も出ねーってか。そりゃあ、ビビるよなぁ?これからおれ達に食われるんだからよ」
そう言うと、残りの男達が下品な声を上げて囃したてる。
「おいおい、ヴァルガ。失礼な言い方はやめろ。このお嬢さんはな、親切心で淋しい俺達のお相手をして下さるんだ。ご自分の足で、ここに出向いていらっしゃったんだからな」
黄色い目の男が、眉をひそめて言う。つかんでいた左腕を一度離して、手の指をきつく捕らえる。そのまま彼の口元まで持って行って、手の甲に口付けられた。
その力に抗う事はできなくて。されるがままになってしまう。
「やだっっっ!!!」
全身に鳥肌が立った。
耐えようのない恐怖感と嫌悪感が体中を駆け回って、必死で腕を振りほどこうと、左手を思いっきり引っ張る。
「おっとぉ。どうされたんですか?急に暴れだしたりして。おや、震えていらっしゃる」
手が離れかけた瞬間、また腕をつかまれた。目の前には大男とその手下の2人。左には黄色い目の男。背後には刃物を持ったその手下。
もし、この腕が自由になったとして、後ろの男をすり抜けて表通りに戻れるだろうか。5人もの男から逃れる事はできるのだろうか。現に今、1人を相手にしても力の差が歴然としているのに。
「今日は予報士の彼氏も助けに来てくれねえよ。お前がここにいるなんて、誰も知らないからな」
「街の連中は、お嬢さん達の話に夢中ですよ?予報士について少し情報を得ようとしただけなのにねぇ?仲の良いあなたの存在から、その特異な立場まで。ぺらぺらと喋ってくれる」
わざとらしく驚いた表情を見せて、また口元ににやついた笑いを浮かべた。スキンヘッドの男が続きを引き取る。
「アウトサイドなんだって?あの時、言葉が通じなかったのもそのせいか。おれは地方の女だと思ってたんだ。予報士様にアウトサイドの女。予報士なんかに勝てる訳ないもんな。だけど、その予報士が大事にしてる女を傷物にしたら、あの涼しい顔も歪むかもな」
勝ち誇ったように言い放つ、その態度が腹立たしくて。
恐怖心を押さえ込んで思わず言い返した。
「何で!?蒼羽さんは何も悪くない!あなた達が無理やり連れて行こうとしたから悪いんじゃないの!?逆恨みなんかして、・・・こんな事して恥ずかしくないの!!それに、こんなの犯罪!警察沙汰になるだ、け・・・」
この状況で逆らえば、どうなるかなんて判ってたはずなのに。
「黙れ」
首筋に冷たく当たる金属。
「俺はうるさい女は嫌いなんだよ。黙ってろ」
ぞっとするような邪悪な光を黄色い目に浮かべて。先程までとは違う口調で、男の低い声が自分を脅した。少しだけ、手を動かして刃物を横にスライドさせる。桜色のシャツの襟が、紅い色に染まる。
「なぁ?おとなしくしてりゃ、いいんだよ。俺はアウトサイドなんか初めて見るし、その体が楽しめるって言われたから、こうしてわざわざ来てやったんだよ。実際、珍しいよなぁ。手間かけさせんなよ」
「兄貴、クールっすねー。一発でこの女黙りましたよ」
目に涙が溜まるのを抑えられなかった。同時に、小さく震える事も。男は首元から太いナイフを下に移動させる。その様子をヴァルガと呼ばれた男が、嬉しそうな、物欲しそうな顔で見やった。
刃先が血に濡れた襟を横にどけて、鎖骨をなぞる。前に降りていた髪も横に押しやった。
ふいに黄色い目の男が口笛を吹く。
「・・・お前の予報士もやってる事じゃねえか。俺達を予報士さんと同じ様にもてなしてくれよ」
赤い、蒼羽の付けた痕。
それを見られた事に。自分を取り囲む最低の男達に見られた事に。
蒼羽の存在がひどく汚された気がして、反発心がまた起こされる。
「・・・蒼羽さんは違う」
「ああ?黙っとけ、って兄貴が言っただろうが」
怖いのに逃げられない。
だけど、言い返さなければ気が済まない。
「蒼羽さんは、こんな・・・こんな卑怯な人間に壊されたりしない」
想い描くのは、蒼羽の微笑み。
「蒼羽さんが絶対にやっつけてくれる」
5人の男を順番に睨みつけた。
「おい」
自分から発せられた視線を目にして、黄色い目の男が不服そうにあごを動かす。
「見張ってろ」
ずっとつかんでいた左腕を離して、乱暴に小突いた。次いで訪れた、背中への痛み。よろけた肩を灰色の石の壁に押しつけられていた。
ヴァルガの子分2人が路地の入り口の方へ消えて行く。
「どうやら、てめぇの立場を判ってないらしいな」
首を押さえられた。
明らかに蒼羽と違う、唇。感触。感覚。
嫌悪感。鳥肌。
触れられた部分全てを浄化したい。
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