23.

 

 抜けるような青空の下、さわやかな風を感じながら。

センターへの行き道を、蒼羽と2人で歩く。

穴の向こうでは、じめじめとした空気が漂っていて、梅雨真っ盛り、という感じなのに。こちらの世界は初夏のような気持ちのいい天気。普段なら、この天気を楽しめるけれど。今日は梅雨のどんよりした気持ちを一緒に連れてきている。昨日の夜、友人に言われた事を思い出して、隣の蒼羽をそっと伺ってみた。

      

 

 

     

昨日、一日かけて、駅前のベンチに座って結晶の反応を見ていた。多くの人間の感情が、結晶の色を次々に変えていって、蒼羽がひとつひとつ隣に座って解説してくれる。反応するのが全てマイナス感情なだけにそれを知ってしまうのは少し後ろめたい気がした。人間の奥深いどろどろとした部分に目を背けたくもなった。

 けれども自分にはその全てを知って、さらに結晶の反応を見極める、という力を身につける事が求められている。それが出来なければ蒼羽の側にいる事は許されない。蒼羽の仕事の手助けが出来る人間が必要なのだから。

 何度も自分に言い聞かせて、結晶の色とその反応の強さを覚える為に必死で蒼羽の説明を聞いた。おかげで日が傾く頃には、結晶に色が浮かべば、なんとかその感情の種類と強さを判断できるようになっていて。

 

「緋天ちゃんは記憶力がいいなぁ。普通は結晶の反応を覚えるのに一週間はかかるよ。それをたった一日で覚える人間なんて聞いた事ないよ」

 そんな言葉を頂いて。蒼羽とベリルの顔を交互に見上げた。

「ええ?でも蒼羽さんがずっと隣で説明してくれたんですよ?すごく判りやすかったし、何度も繰り返してたら自然に覚えられますって」

「それでもすごいってば。これは叔父さんも驚くよー」

 嬉しそうな顔をして、ベリルが頭をぐりぐりなでる。

「おっと・・・危ない危ない」

 ガラス扉の前にいた蒼羽がそれに気付いて足を動かしたのを見て、ベリルが急いで腕を離した。

「帰るぞ」

「・・・全くー。蒼羽は余裕なさすぎだねー。じゃあ、緋天ちゃん、また明日」

 

 そうやって、ベースを後にして、蒼羽に送られ家に着いた時。

 蒼羽の左手が伸びてきて、頬に触れる。こめかみにキスを落とされて目を閉じた。蒼羽の車の中で。近所の人に見られたら困ると思いながらも、もう体は抵抗する事も思いつかない。彼の腕の中の心地良さも、甘い感触も知ってしまっているので、自然と目を閉じて唇に触れられるのを待った。

「???」

 予想に反して額に柔らかな感覚を残して蒼羽が腕を離したので、目を開けると、そこには穏やかな微笑み。

「じゃあ、明日な」

「・・・うん。送ってくれてありがとう」

 別れの言葉を紡ぎだされたから、反射的にそれに答える。浮かび上がった疑問を抱えながら車を降りた。朝にも感じた違和感。

「あら、どうしたの?変な顔して」

「あ、お母さん。・・・あのね・・・って、やっぱいいや」

 出迎えた母親に、ふいに疑問をぶつけそうになって思い留まる。

「やあね、もう。言いかけてやめないでよ」

「うぅー。こんな事、誰に聞けばいいのー・・・」

 洗面所で手を洗いながら、目の前の鏡を見ると、情けない顔をした自分の顔が見えた。首元を覆う黒のハイネックを少しずらして、蒼羽のつけた痕を見ようと、手を動かそうとした瞬間、明るい電子音が鳴り響く。焦った気持ちを抑えながら、携帯を取り出すと、いつも何かと助けてくれる友達の名前が着信画像と一緒に表示されていた。

 

 

 

  

「京ちゃん大好き!!」

 日曜に元気がなかった緋天が、昨日の火曜日の夜、『心配かけてごめんね。今は元気になったよ』とメールを送ってきたので。一日たった今日、詳しい話を聞こうと電話をかけたら、勢い込んだ声でそう言われた。

「その声からすると、ほんとに元気になったみたいだねー」

「うん、ありがとー。京ちゃん、すっごくいいタイミング!!今、時間大丈夫?・・・聞きたい事があるの」

 急におとなしい声になった緋天がおそるおそる切り出した。

「何?元気になったんじゃなかったの?」

「あ、違うの。この前の問題は解決したよ。・・・あのね、京ちゃんにしか聞けるような人がいないのー」

 半泣きになった緋天が目に浮かんで苦笑が漏れる。どうやら深刻な話ではないらしい。本当に落ち込むと、緋天はこんな風に自分に言い出す事も思いつかないだろうから。

 

「はぁ?そんな事、私に聞かれてもなぁ・・・」

―――あのね、好きな人が急にキスしてくれなくなるのって・・・・・どういう事だと思う?

真剣な声を出した緋天に、つい正直な気持ちを告げる。

「だいたい好きな人って・・・。緋天の好きな人はこの前の『蒼羽さん』でしょうが。って事は・・・え?何それ!?蒼羽さんが急にキスしてくれなくなった、って事なの!?ちょっとちょっと、それは大問題!詳しく話しなさい」

 そう答えてから、我ながらオバサンのようだなぁ、と少し後悔する。

「・・・えっとね。ほっぺたとか目とか髪とか。他の所にはいつも通り、キスしてくれるんだけど・・・あの、その、唇に来る、って思って目を閉じたらね、急に蒼羽さんが離れてるの・・・」

「何それ・・・?ごめん、私には理解不能。つまりさ、言いにくいんだけど・・・こう、盛り上がってきてるのに、急にやめる、って事?」

 頭の中をぐるぐるとクエスチョンマークが飛び回る。

「うん。そんな感じ。でも、昨日は普通にキスしてくれてたの。今日の朝と、帰りに、急にそうなっただけだから・・・もしかしたら勘違いかもしれない。京ちゃん、佐山さんと付き合って、もう3年位たつよね?そういう事ってあるの?」

 突然、自分の彼氏の名前を出されて、その姿を思い浮かべた。

「うーん。ケンカした時はキスとかしてるどころじゃないけどさ・・・。別に蒼羽さんとケンカしてる訳でもないんでしょ?」

「だけど・・・今まで周りに誰かいても、別れる時とかはしてくれてたから・・・なんか違和感って言うか・・・あのね、蒼羽さん、ハーフだからキスがあいさつみたいな感じでね・・・」

「あ、ハーフだったんだ。あー、なんか納得。って、これはまあ置いといて。昨日までは普通だったのね?じゃあさ、ちょっと、昨日からの事、詳しく話してみてよ」

「うん・・・えっと、昨日はね・・・」

 

 

「こらこら。仕事中に何て事してんのよ・・・」

 緋天の話に耳を傾けて、かなりの衝撃を受けた。緋天はそういう事を許すような人間じゃなかったのに。

「キスマーク付けられて起きないなんて、相当・・・って、こんな話を緋天とする事になるとはね。はぁぁ。あ、なんか今、ウチのお父さんの気持ちが判った・・・。でも、結構、早いよねー。両思いになって一週間ぐらいでしょ?しかもその様子じゃ、初めてって訳でもなさそうだし」

「キスマークなんて付けられたの、初めてだよ・・・」

「え?じゃあ、それまでは痕付けてなかったんだ?それにしても、仕事中は良くないよ。嫌ならちゃんと言いなよ?後で困るのは、緋天なんだからね。うー。でも蒼羽さんはそんな非常識な人には見えなかったなー」

「うん・・・あたしも仕事中に眠るなんて良くないと思ったんだけどね、ずっと寝不足だったから・・・。やる事ないから、寝てもいい、って。それで蒼羽さんが寝かせてくれたの。でも寝てる間に、蒼羽さんがそういう事するなんて思わなかった・・・」

「んん?え、何?眠ってただけ?」

 自分が思っていたのと違う事を緋天が言い出して、話がかみ合ってない事に気付く。

「えー?うん。そうだけど?」

 のんびりした声が聞こえて、肩の力が抜けた。

「なんだ・・・もう。私はてっきり仕事中に・・・あ、いやいや。えっとじゃあ、何?昨日、寝てる間にキスマーク付けられて、蒼羽さんに、もう付けないで、って言ったのが今日の朝?」

「うん」

「緋天・・・。あのさ、緋天は無防備すぎるの。虫除けって言った蒼羽さんの気持ち、すごく良く判る。考えてもみて。寝てもいい、って言われたって事は他に上司の人とかいなくて2人だけだったんでしょ?普通ならそこでとっくに食べられてる。・・・私の言ってる意味、判るよね?」

「・・・・・・うん」

「好きな子が目の前で無防備に寝てる。そこで考える事は、男ならみんな同じだと思うよ。それを抑えるのは理性。まあ本当に仕事中に手を出す人はあんまりいないよ。だけどさ、緋天は他の人の前でもそうなんじゃない?だから蒼羽さんは心配でたまらないと思う。それを言いたくて、キスマーク付けたんだよ。・・・私の予想だけどね」

「・・・・・・うん」

 緋天が沈んだ感じで答える。少しかわいそうに思えて、数年前の自分を思い出してから、言葉を選んだ。

「あのね・・・緋天が嫌ならいいの。正直にそう言えば。それを待てないような男と付き合うなんて逆に駄目。実際、蒼羽さんは待ってくれてるんだからさ。だけどね、それを我慢する、っていうのはね。私達からは考えられない程、辛いんだって。本能だから。すごいお腹が減ってて、目の前にごちそうが並んでる。だけどそれは絶対に手をつけたらいけないの」

「うん」

「ごちそうは自分の物。でも今食べる事は許されない。しかも、そのごちそうを狙ってる人間がいっぱいいて、それも絶対に阻止しないといけない。でもごちそうは敵を判断できないし、逃げる事もできない。・・・蒼羽さんは必死だよ」

 電話の向こうで緋天が息を呑むのを感じた。

「多分・・・唇にキスしたら、自分を抑えられなくなりそうになったんじゃないかな。そういう気配、感じなかった?」

「・・・昨日、ちょっと感じた・・・」

 泣きそうな声が聞こえて、やっぱり、とつぶやいてしまう。

「あとさ。緋天、自分からキスした事ある?」

「・・・ううん。京ちゃんはあるの?」

 思わぬ反撃に身を引いて、それでも緋天に本当の事を教える。

「そりゃあね。好き、って気持ちを伝える愛情表現だよ。あんまり自分からしないけど。たまにすると、すごく喜んでくれるし。緋天はさ、今日、蒼羽さんがキスしてくれなくて、淋しかったんでしょ?」

「う、うん・・・」

「キスがあいさつなら。蒼羽さんはもっと、もどかしいんじゃない?ほら、映画とか見てたらさ。外人さんって本当自然にキスするじゃん。自分からするのが無理なら言葉だけでもいいよ。蒼羽さん、緋天が言い出すの、きっと待ってる。明日また、キスしてくれなかったら、確定だね」

「うぅ・・・」

「そのうち、自然に受け入れられるからさ。それまでは、キスだけでも緋天の気持ちを伝えておきなよ。蒼羽さんが他の女の人に流れたら嫌でしょ?あれだけカッコいいんだから、頑張らないと」

「うん・・・判った。明日、聞いてみる」

 ハッパをかけたら、急に緋天がしっかりした声を出した。

「聞いてくれてありがとう!京ちゃん、大好き」

「もう・・・それ、2回目だよ。言う相手が違うってば。じゃあね。頑張りな。上手く行ったら報告しなよ」

 

 

 

 

―――蒼羽さんが他の女の人に流れたら嫌でしょ?

 そう言われて、恥ずかしいとか、そういう事を言ってる場合ではない、と気付いた。蒼羽の心を、自分につなぎ止めておく事はできるだろうか。のぞき見た蒼羽の横顔は、いつもと同じに見える。センターに着いて、別れる時が蒼羽の考えを確かめる時。

つないだ手に少し力を入れて、気合を入れた。

 

 

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