22.
「とりあえず、川に落ちた事にしたから。今度、詳しく話す、って言って帰って来たんだ」
蒼羽が今日の夕方、緋天の父親に説明した内容を話す。
「何か上手い言い訳を考えてくれ。俺は思いつかない」
「ああ、そうか・・・ご両親にも上手く説明しないとなぁ。もともとは緋天ちゃんが川に落ちたと思ってたんだから、そう言っておいて良かったよ。じゃあ、辻褄の合うように、何か考えておくか」
昨日からの重労働の疲れがたまった肩をもみほぐしながら、ふと蒼羽に目をやると、晴れ晴れとした笑顔を浮かべていて。
「蒼羽・・・ご機嫌だなぁ。緋天ちゃん関係の事だろうけど・・・。そういや、午後から何してたんだ?」
「ん・・・あいつが眠そうにしてたから、夕方まで寝かせてやった」
ここまでの気遣いができるようになったか、と感慨もひとしお。
蒼羽の緋天限定の優しさに、嬉しくもあり、少しの寂しさもあり。
「蒼羽にしては気の利いた事を考えたねー・・・って、それだけで何でそんなに機嫌がいいんだ?正直、蒼羽がにこにこしてると、怖いんだけど・・・。何があったんだ?」
そう言うと、蒼羽の顔が一瞬いつもの無表情に戻って、それから口元をまた緩ませて答えた。
「・・・秘密」
楽しそうに答えた蒼羽を目にすると、複雑な気分になりながらも、なぜかそれ以上聞くのはやめておこうと思った。
今日一日でいろんな事があったな、と思いながら、半乾きの髪にくしを入れる。
センターで、小さい頃の記憶を思い出して、あれほど怖くてたまらなかった気持ちが半減した。今日からは嫌な夢を見ずに眠れそうだと思うと、自然と明るい気分になる。
今の自分の問題は、蒼羽のスキンシップに慣れる事だと思いついて、顔が熱くなった。蒼羽が自分を大事にしてくれているのが良く判る。無理に先を急がせようとはしない。でも今日は、蒼羽が何かを押さえ込むのが見えた気がした。
その感情を朧げながら感じて、知ってしまった今は。
少し心が痛んだ。
髪を高い位置にまとめ上げて、ふと鏡の中の自分を見れば。お風呂あがりだから、と言うのもどうかと思う程に頬が赤く染まっている。眉をひそめながら、鏡に少し近付いく。
顔の火照りを検分していると、首元に赤い虫刺されのような痕が目に入った。いつもは髪で隠れている部分、耳の下から鎖骨にかけて。赤い小さな痕跡がぽつぽつと左右にいくつかついている。
「何でこんな所に・・・?昨日はなかったし・・・今日の朝もこんなのついて無かったのに・・・」
痛くも、かゆくも無く。虫刺されにしては皮膚がふくれていない事に疑問を抱く。
「なんかキスマークみたい・・・。普通に見たらそう思われそうだなぁ」
実際には、見た事がないのだけれど。
そうつぶやいてから、恥ずかしい気持ちになる。
「あぁぁ、変な事考えてるせいで・・・・・・」
首を振って一瞬浮かんだ考えを打ち消そうとした。ふいに蒼羽の微笑が目に浮かぶ。
―――寝てるのが勿体無いんだ
そう言った後に、なぜか蒼羽が意地の悪そうな笑みをした事を思い出した。彼は自分の寝顔を見ていたのだ。
「まさか・・・蒼羽さん、そんな事しないよね・・・?」
わざわざ口に出して自分に確認する。そうしてから、逆に確信してしまった。これは自分が寝てる間に、蒼羽が付けた痕だ。
せっかく引きかけた顔の熱が、一気に逆戻りする。先程よりもさらに赤く染まった自分の顔を見て、体の力が抜けるのを感じた。
「蒼羽さんー・・・・・・はあ」
ため息をついて、まとめた髪をほどいて肩に落とした。
「おはようございまーす」
緋天がガラス扉を開けて、いつものように部屋に入って来た。今日は穴の向こうは曇っているけれど、こちらはきれいに晴れて気持ちのいい天気。
「おはよう。お、緋天ちゃん、今日はなんかカッコいいねー」
今日の緋天は全身黒の服装で。タートルネックの半そでニットに、膝丈巻きスカート。細い編み上げのサンダルまで黒だった。
「このタートルに合わせようとしたら、なぜかこうなっちゃったんですぅ・・・はぁぁ」
別段、変な格好をしている訳でもないのに、緋天がため息をついて困った顔を見せた。
「いつもと違った感じで、大人っぽいよー?どうしたの?おかしくないよ」
緋天の様子に戸惑いながらそう言った時、蒼羽が2階から降りてきた。彼女を見て、笑みを浮かべている。
何となく。その笑顔はいつもの緋天への笑みとは違って、少しばかりダークなものに見えてしまって。それを口に出そうかどうしようか迷っていると。
「そっ、蒼羽さんー。・・・やっぱりそうだったんだ」
近付いてきた蒼羽を恨めしげな目で見上げて、緋天がつぶやいた。
「やっぱり、って何が?蒼羽、何かしたの?」
2人の様子を見れば、緋天が劣勢に立たされている事がすぐに判って、少し心配になって聞いてたのだが。
「なっ!何でもないですよう・・・」
緋天が大きく手を振って否定した。それを蒼羽が涼しい顔で見ている。彼が何かしたのは判ったけれど、緋天が言いたくなさそうなのでそのままにしておく事にする。不本意ながら。
「蒼羽。ほどほどにしておかないと、いつか緋天ちゃんに捨てられるぞー・・・」
「蒼羽さん」
ベリルが自分と蒼羽を残して、センターへ出かけた後。ソファに座る蒼羽の横に立って、呼びかける。
彼を上から見下ろす事で、少しでも強気な態度を保とうとした。
「ん?」
こちらの精一杯の強がりを、全て見透かしているかのように、蒼羽は微笑を浮かべて緋天を見上げる。
「変な事しないで。自分で気付いたから良かったけど、人に見られてたら、すごい恥ずかしいよ」
「変な事って?」
微笑んだまま、蒼羽が自分に腕を伸ばす。それに捕まらないように、一歩後ろへ、体を引いた。
「だ、だからー・・・首に痕付けたでしょ?」
血が上る。今の自分は絶対に真っ赤な顔をしている。頬に熱を感じて、それを抑えようと思えばさらに熱さを感じてしまった。黙ったままの彼が、体を少しソファから浮かして。素早く腕をつかむ。反射的に引っ込めたそれを逆に強く引かれる。手の平を上に向けて、その手首に蒼羽が唇を寄せた。
「・・・こういう事?」
彼は顔を上げて、下からのぞく。いつもよりも色濃く、その、紫紺に見える目。絡め捕られそうになって、視線を腕に落とすと、自分の肌に、赤い点が咲いていた。
「・・・っ!!」
小さな強気は、あっという間にどこかへ消えて、大きな羞恥心が残される。後ずさろうとすると、つかまれていた腕をまたも引っ張られて蒼羽の上に倒れ込んだ。
離れようとする自分を腕の中に閉じ込めて、膝の上に座らせる。
こんな事をされるのは、初めて。
「嫌なら、もうしない。でも、目の前にこんな白い肌見せられたら、誰だって触りたくなる。虫除けだ」
たった今付けたばかりの手首の痕を、持ち上げて見せる。その赤い点の上に、彼はまた優しく口付けた。もうどうしようもなく、勝手に目が潤んでしまい、蒼羽にされるままになる。
「・・・嫌、じゃない、よ・・・だけど、知らない間に付いてたから。人に見られるのはやだ・・・」
「ん。判った」
このまま自分はどうなってしまうのだろう。蒼羽に翻弄されて、心臓を壊されてしまうのだろうか。おそるおそる口を開くと、蒼羽は唇を離す。顔を上げた彼は満足げに微笑む。怯えてるわけでも、嫌がっているわけでもない、その涙の意味を悟っているのだ。
全てを見通されて。それでも。蒼羽の甘い声を聞いていたかった。
今にも涙がこぼれ落ちそうな、緋天のその潤んだ目。
昨日と似たような状況だけれど、それが自分への好意と恥じらいなのだと、明確に判っていた。簡単に赤く染まった彼女の頬は、自分を確実に満足させる。
確かな手ごたえを得ようと、緋天の目じりに唇を寄せた。自分の膝の上、腕の中で、すっかりおとなしくなった緋天は、目を閉じてキスが降りるのを待つ。
引き寄せられて口付けを落とそうとしてから、ある考えが浮かんで必死で自分を抑えた。顔を離して、髪に口付ける。目を開けてきょとんとした表情の緋天を隣に下ろして、立ち上がった。
「・・・今日はベリルもいないしな。何かしたい事はあるか?」
始まった小さな駆け引き。
自分が耐えられなくなるのが先か、緋天から触れてくるのが先か。
早く決着がついて欲しい。
もう、すでに。今。
じりじりと、もう一度手を伸ばしたい欲求に体が焼かれ始めている。
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