11.

 

「緋天ちゃーん。帰るよー」

帰り仕度をしていた所で、ベリルが顔を出した。蒼羽もベリルも何で自分の帰る時間が判るのだろうか、と疑問に思う。

「はーい。って、ベリルさん、何であたしの帰る時間判ったんですか?いつも同じ時間じゃないのに・・・」

相変わらずな笑顔のベリルの方に向かいながら、口を開けば。

「んー。テレパシー?」

「ええ?本当ですかー、それ」

「うそうそ。マルベリーが教えてくれたんだよ。あいつ、緋天ちゃんの行動、いつも把握してるから。ストーカー状態」

彼は笑いながら、親指で後ろを示す。そちらに目をやると、マルベリーが微笑んで手を振っていた。

「あ、本当だ。そういえばあの人と良く会うなぁ。蒼羽さんがいる時は見ないんだけど」

「だから、ストーカーなんだってば。蒼羽がいる時は怖くて近寄れないだけなんだよ。まあ、害はないから安心して」

「ええ?何でストーカーなんですか?あの人すっごく親切ですよー。お茶とかいれてくれたり。椅子貸してくれたり」

 その言葉通りに。ここに来る時はいつも自分の世話を焼いてくれる彼。てっきりそれは彼の仕事のついでだと思っていたのだけれど。

「・・・緋天ちゃん。人の好意を素直に受け取るのはいい事だけどね。君は純粋すぎる!!その好意には裏があるのだ!」

そう言いながら、ベリルは後ろに振り向いて、今度は人差し指でマルベリーを差した。

「なっ!何を言ってるんスか、ベリルさん!!むやみに人を疑うのは良くないっスよ!自分、蒼羽さんから緋天さんを奪おうなんて考えてないです。いつも緋天さんを見守っているのは、隙を見つけようとかそんなんじゃないですよ。あわよくば、蒼羽さんのいない隙に、とか考えていないっス。失礼だなぁー」

 ぶんぶん手を振りながら、必死に否定するマルベリーは、指差され、あらぬ疑いをかけられた事を本気で嫌がっているように見えた。

「そうですよー。あたしをどうにかする、って話はありえないですってば。むしろ、かっこいい蒼羽さんを狙ってる、って方がまだ説得力があります・・・はっ!もしかして・・・そうなんですか?」

 彼の言葉を裏付けしようと口から出たそれに、別の方向への疑惑が持ち上がる。声に出して、そちらの方に不安を覚えて、マルベリーに近寄った。

「や、やだなぁー。そんな事ないっスよ・・・」

 目の前の、見上げた先の彼の顔には焦りに似た表情。おまけに忙しなく体を動かして否定した。

「え、なんか怪しい・・・ウソっぽい。やだー、どうしよう」

 いかにも、な目の泳がし方は、言葉とは裏腹で。

「何でそうなるの!?もう、緋天ちゃん、論点ずれてるってば」

 ベリルの声もどこか遠くから響く。

「・・・あぁぁ、ボーイズラブだ・・・。あ、人の嗜好にとやかく言っちゃ駄目だけど・・・、蒼羽さんは、その気あるかなぁ・・・」

 蒼羽はマルベリーから告白されたら、一体どうするのだろう。

 

「緋天ちゃーん、戻ってきてー。あー、これはもう、蒼羽がいつも害虫駆除してなきゃダメだ・・・。緋天ちゃん、虫に気付かないよ」

 

 

 

 

 センターから出て、緋天の顔をうかがいながら、口を開いた。マルベリーが必死で蒼羽への恋心説を否定しているというのに、彼女はライバル出現!とでも思ったらしく。何度も違うと言う彼に、口では判ったと言っていたが、まだどこかそう思い込んでる節がある。

 けれども、今は。

 聞かなければいけない事がある。

 

「緋天ちゃん・・・あのさ、聞きにくいんだけど、その、嫌な夢って、いつも同じなの?」

 それを聞いた途端、緋天が体を強張らせる。その顔には怯えた表情が浮かんでいた。

「あー、うそ、今の話やめよう。なしなし。ごめんね」

 瞬時に変わってしまった彼女の様子に。やはりこの話は時間を置かなければ駄目かもしれない、と悟り。急いで右手を横に振って終わりを告げた。こうやって喧騒のある表で聞いた方が気楽かとも思ったのだが、歩きながら軽くできるレベルではないのだ。

もう一度緋天を安心させようと見下ろせば。彼女は申し訳なさそうな顔をして、うつむいた。

「・・・蒼羽さんが言ったんですよね?ベリルさんの方が、そういう事聞くの得意そうだから」

「・・・うん。何かの手がかりになるかな、と思って。だっていつまでも怖いのが続くと嫌でしょ?」

「判ってます。・・・外に出さないと、何の解決にもならないもん」

 泣きそうな顔をして、緋天が言った。

 きっと。彼女自身でも判っているのだ。今の自分はとても不安定だと。

「無理しなくていいよ?話せる時でいいから」

 それでも。これだけで涙をこぼしそうな緋天を見て、やはり今日は駄目だ、判断したその時。

緋天がぽつり、と言葉を吐いた。

「・・・最近は見てなかったの」

 

「え・・・?やっぱり同じ夢だったんだ」

 緋天の、その言葉に。

 朝、蒼羽としていた話を思い起こして。自分が漠然と思っていた事があながち外れてはいなかったのだと思う。

 そうして、見下ろした緋天の顔に浮かんでいるのは。葛藤、だろうか。本能的に逃げ出したいものに、必死でしがみついているようだった。

「・・・多分、もう5年ぐらい、見てなかったんです。小さい時は・・・嫌な事があったり、悲しい事があったり、熱を出した時は・・・いつも、見てた・・・?」

 その言葉は、とてもゆっくりと吐き出されていって。

 それは何かを、形のつかめなかった何かを。ひとつひとつ、確認しながら声に出しているよう。

「・・・じゃあ、やっぱり、この前、熱を出した時にお母さんが言っていたのは・・・」

 彼女の思考を妨げない程度に自分の疑問を口にする。

「久しぶりに、あの夢、見て・・・。昨日も。一昨日、も」

 答えた緋天の歩く速度が遅くなって、顔をのぞくと、その目は遠くを見ていて、肌が青白くなっていた。

 

「もういいよ。これ以上は聞けない」

 ここが限界だ。倒れてしまいそうな程に、その顔色が悪い。

身体的にも、精神的にも。ここから先は、どんなに優しく聞き出そうとしても、緋天の安定材料である蒼羽がいない事には、自殺行為である気がして。

できるだけ穏やかに声を出してそう言うと、あろうことか彼女は首を横に振った。

「・・・はじめ、は・・・そう、女の人が、笑ってるの・・・・・・それで・・・・・・それで、何か、後ろから、追いかけてくるのが判るの・・・」

 小さい小さいその声は、ぎりぎりのラインを越えようとしている。

「・・・捕まえられるから、逃げなきゃ・・・」

 虚ろな目で遠くを見ながら、緋天が小さくつぶやく。

「・・・緋天ちゃん?」

 自分に対して語っている訳ではない。

異様とも形容できる、緋天のその様子に焦って声をかける。彼女の足は完全に止まっていた。

 

「逃げなきゃ、捕まる・・・目、目が合ったから・・・お父さん、どこにいるの・・・」

 目は虚ろなまま、少し笑って続ける。

「お兄ちゃんの所に戻ったら・・・お父さん、どこにいるか、教えてくれるよ・・・これ、見せて・・・なんだろう・・・みんなほめてくれる・・・面白いの、見つけた・・・」

「緋天、ちゃん・・・」

 蒼羽がいないのに、本当にこれ以上は良くない。背中に寒気が走って。もう一度、そっと声をかけると、彼女はまた怯えた表情に戻って、さらにつぶやいた。

「・・・早く走って・・・逃げなきゃ・・・・・・後ろに、来てる・・・・・・来て、る・・・・・・・・・」

 目の前の彼女は、いつもの緋天であるはずなのに。

 自分達が立つ場所は、明るい通りであるはずなのに。

「・・・来、て、る・・・・・・・・・・・・・・・・・・来、・・・た、」

 

 

「緋天ちゃん!!」

 緋天の前に回り込んで、その腕をつかむ。

 呟きを繰り返す彼女に魅入られたように立ち尽くしてしまっていた。

「・・・っや、・・・っ、・・・ぅ・・・や」

 反射的に緋天が後ろに下がろうとする。その目は完全に何かに怯えていて、自分を映していない。

「やあぁ・・・っ」

 泣きながらその場に座り込む緋天に合わせて、しゃがんで肩をつかんだ。

「緋天ちゃん!!落ち着いて!何もいないから!ここは安全だ」

 びくりと大きく跳ねる肩。恐怖に支配された目から、次々にこぼれ落ちる涙。

 ざわざわと、行き交う人々から寄せられる視線。責められて当然。もっと早くに止めれば良かったのだ。悲鳴を上げたくても上げられない程に怯えきって泣く彼女に、後悔という言葉はあまりにも軽すぎた。

「っ、・・・ぁ・・・ベ、リルさん・・・?」

 ふいに顔を上げて、自分を見るその目にようやく悔恨から浮上する。緋天の目はもう遠くを見ていなかった。

「ごめん。こんな風になるとは思わなかったんだ・・・」

 体を震わせて目に涙を浮かべた緋天は、蒼羽が言った、異様に怯えている、という言葉を思い出させた。

 

「・・・帰らなきゃ。蒼羽さんが、待ってる」

 今のこの状況をどう切り出そうかと思案していると。急に笑顔になって、緋天が立ち上がった。

その顔は、センターを出た時と変わりはなくて、それは、たった今起こった事をきれいに忘れたように映った。

 

 

 

 

 ソファとカウンターの間を落ち着き無く彷徨って、緋天の帰りを待っていた。

玄関の扉が開く音がして、次いでぱたぱたと小走りな足音。

「・・・っ蒼羽さん」

廊下に続く扉を開ければ、緋天が走り寄ってきた。その顔は今にも泣き出しそうで、途端に自分を焦らせる。

 腕を伸ばして、緋天の頭を抱え込んでから、後から入ってきたベリルを見た。何か糸口が掴めれば、と思って彼に任せたのに。上手くいった空気が感じられなくて、ベリルの目を捉える。彼はバツの悪そうな顔をしてから、こちらに目で何かを言いたそうに訴えていた。

「・・・緋天ちゃん、お父さん達、何時に迎えに来るって?」

「え・・・?えっと、5時位に家を出て、駅の駐車場に停めたら電話するって。こっちからも帰る時に電話する事にしてて」

 遠慮がちに発せられたベリルの声に、腕の中の緋天が顔を上げて答えながら、自分から離れる様子を見せる。その恥ずかしげな仕種は、もういつもの緋天なのだけれど。

「そっか・・・今・・・5時半か。あっ!ちょっと買い物思い出した!急いで行ってこなきゃ、じゃあ、緋天ちゃん、また明日ね!!」

 ベリルが再度、自分に目で訴えて、扉の外に飛び出して行った。

「???ベリルさんすごい慌ててたね。そんなに大事な物なのかな」

「ああ・・・あいつ、昼に何か足りないって騒いでたから」

 緋天をここに留めておけ、というベリルの合図。きっと彼女の両親に話があるのだろう。先程は収穫無しかと思われたが、自分への説明を後回しにするだけの何かを既に掴んでいるのだ。

「・・・蒼、羽さん、あのね・・・えっと、もうちょっと、ここにいてもいい?」

 ベリルの出て行った扉に向けていた視線を緋天に戻すと。不安そうに言い出すその言葉。

 自分の傍にいる事で緋天が落ち着くなら、ずっとここにいればいい。それがなくても、ずっとここにいて欲しいと、自分は彼女を欲しているのに。

「ん。・・・電話がきてから、出ればいいんじゃないか?早く行きすぎても待つだけだしな」

 そう答えるだけに止めてソファに緋天を座らせた。

隣に座って緋天の目をのぞくと、また何かに怯えているように見えた。ベリルとの帰り道に、何かあったのは判っているが、今それを聞くのは危険な気がして、黙って緋天の髪をなでる。

 そうすると、明らかにほっとした顔をして、こちらを見上げる彼女。それだけの信頼は愛しさを沸き起こす。抱きしめると、黙ったまま自分に体を預けてきた。指先を滑る、甘い感触。髪をなで続ければ緋天の体から、徐々に力が抜けていくのが判った。

緋天の不安が、それと共に溶けていく気がして。

しばらく口を開かないまま、腕に力を入れて緋天を強く抱きしめていた。

 

 

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