トリスティンの白珠姫 1

 

「えっ!? それって大晦日のこと?」

 困ったように眉を寄せる緋天に、違う、と答えようとしたら。

「んーん。24日から26日にかけてかな。ちょうどクリスマスにあたるけど」

「あ、じゃあ大丈夫だと思います」

 横から割り込むベリルの声が、代わりに緋天と会話していた。言葉が足りなかったのは自分のせいだが、少々腹が立って、彼女の頬に右手を当ててこちらに視線を戻させる。

 

 年末にベリルの家でやるパーティーに行きたいか、と。

 一日を終えて、ソファで帰り支度をする彼女に問いかけたのは、逃れられない義務感からだ。彼女が行きたくないと言えば、いつものようにただ数時間、会場に存在するだけで済んでいるのだと思う。

 突然のその問いに驚いた緋天が、大晦日には既に決まった用事があるように答えるから。パーティー云々より、せっかくの長期休暇、夏のように彼女と二人だけで過ごそうとぼんやりと考えていたのだけれど。それが却下されそうな雰囲気に、消しようのない焦りが這い回る。

 

「31日からは用があるのか? どこかに行くのか?」

「用っていうか・・・家で年越しして、初詣に行って、あとね、おじいちゃんとおばあちゃんに会うの」

「おー、そっか。日本のお正月。蒼羽の入り込む余地ナシって感じ」

「そんなことないですよー。蒼羽さんは、お正月用事ある? お母さんが遊びに来てほしいって言ってたよ」

「行くけど・・・緋天はずっと家にいるのか?」

 首を縦に動かす彼女を見てほっとする。どうやら、3日ほど緋天を彼女の家族の元にいさせてやれば、その後はどうとでもなりそうで。新年の慣習を済ませれば、どこへ連れて行っても文句は言われないだろう。

「じゃあ、休みの後半は俺のものだからな。誰とも約束するなよ」

 耳元で囁いて、緋天の頬が染まるのを見る。

 ようやく満足感を得て、本題であったはずの話に戻すことにする。ベリルとしても、彼女の参加を取り付けた方が都合がいいはずだ。緋天の付き添いとして、アルジェを連れ出そうとしていることなど目に見えている。

 

「知らない人間ばかりだけど・・・無理はしなくていいぞ。要はベリルの家族に顔を見せればいいんだ」

「あ、あと叔父さんのところもね。皆、早く会いたいって」

 何も知らない緋天に余計な不安だけは抱かせたくなくて。

 大したことは無いように言ってみる。ベリルもその方向で進めたいのか、余計な事は言わなかった。本当は、一年の内で一番の大行事である、年末の二家合同パーティー。その一年で行われた重大な決定を報告し、寿ぎがあればそれを祝い、集まった人間へ周知を図り、無数のつながりを強化する。

どこをどう切り取っても。そういった大々的な社交の場だ。

 

 緋天には居づらい場であることは承知の上で。出て欲しいと思っているのは、周囲に、自分の環境に認めてほしいからだ。けれど、彼女にとって最良の環境であるかは判らないから。断ってほしいような、参加してほしいような、相反する気持ちが存在する。

 

「あの・・・礼儀とか知らないので教えて下さい」

 緋天の髪を梳く事で返事を待っていると。彼女の目はベリルを向いていた。何故そっちに返事をするのか、と思ったが、口にした内容がベリル向きのもので。

「うん。じゃあ・・・来てくれる?」

「はい。・・・だって、意味、あるんですよね? 頑張ります」

 真剣な横顔は、何かを悟っているようだった。

 きっと緋天は、緋天自身が出向くことの、その意味を。彼女なりに考えて、導き出した。

「緋天ちゃん。・・・大丈夫、蒼羽がちゃんとエスコートしてくれるから」

「・・・ああ。そんなに畏まらなくてもいい。緋天はもともと大人しいから大丈夫だろう」

「あ、そうだね。大して覚えることもないよ。あと、当日の服も気にしなくていいから」

 不思議そうに首を傾げる彼女の瞼に口付ける。

 ぴくり、と反応するそれが愛しかった。

 

 

 

 

「緋天さんはただのゲストと言うより、蒼羽の大事な人だから新しい血族になるわ」

 窓の向こうは、きれいな冬晴れで。アルジェの髪が、日の光に反射して、とてもきれいな色を放つ。それに見とれていたら、彼女が溜息を吐いてそう言った。

「扱いは、最上級。余程の事がない限り、ホストのサンスパングル家の方々と同じ敬意を受けるはず」

「え・・・? サンスパングル家って? えっと、ベリルさんのお家ですか?」

 年末のパーティー、というものに。

 アルジェも参加すると聞いたのは、一週間前のこと。周りは知らない人だらけ、という中に、彼女がいれば心強い。それが嬉しくて、ベリルにそう言えば、ついでに作法も彼女に教えてもらえばいい、と。そんな答えが返ってきた。

 だからこうして、三日後に控える本番を前に、話を聞きに来たのだけれど。

「ええ。蒼羽は名目上、所長の、トリスティン家の養子よ。でも両家で育てられたと言うから、サンスパングルにとっても大事な家族なの。今年はホストがサンスパングルだから、そちらのお屋敷で同等の扱いを受けるはずだわ。もちろん、両家のお客様にもね」

「オーキッドさんちの養子!? お屋敷って・・・!?」

 次々に出される言葉に、頭がついていかない。何となく、普通の家、例えばフェンネルの家のような暮らしとは違うのだろうな、とは思っていた。この世界で予報士に関わる仕事というのは、政府の要職のようなものだ、とも想像はついていたから。けれど、アルジェの言葉から考えると、予想を軽く飛び越えているらしい。

「あ、ごめんなさい。そんなに驚かないで。だから大丈夫よ、って事を言いたかったんだから」

「大丈夫なんかじゃ・・・」

 

 顔から血の気が引いていくようで、目の前が暗くなる。

 のんきに三日前に作法をどうこうしようというレベルではないのかもしれない。

「私の方が異分子よ。いくら部下だからって、末端の私が招待されるようなものじゃないし」

「またそんな事言ってる。君も大事なお客様だよ」

 どうしよう、と半ば混乱に陥りかけた時、頭上から柔らかな声が降ってきた。

「サー・クロム! 立ち聞きなさらないで下さい!」

「はいはい、ごめんね」

 いつの間にかベリルが室内にいた。それに対して、アルジェが厳しい声を出して。彼はそれを軽く受け流す。なんだかそのやり取りが、優しく感じたのは気のせいではないと思う。ベリルの目が、にこりと笑ってアルジェを見ているから。

「ふふ」

「あ、緋天ちゃん、なに笑ってんの」

「秘密です」

「後で教えてね。そうだ、ちょっと練習しようか」

 立つように促されて、彼を見上げる。左腕を差し出された。

「緋天ちゃんは、お姫様。お姫様はパートナーの横で笑ってね」

 つかまれ、という事らしい。映画で見るような、中世ヨーロッパのスタイルを保っていればいいのだろうか。ベリルの腕にそっと右手を置くと、上出来、とでも言うように彼が笑った。

「向こうからお客さんが来ます。私はホストだから挨拶をする。ついでにお姫様を紹介」

 ぴし、と背筋を伸ばした彼に倣って、自分の背にも緊張がはしる。

「これはこれはヴァーベインのお嬢様。本日は遠いところをお越し下さりありがとうございます」

 深々とお辞儀をするのかと思えば、ベリルは軽く胸に右手をあてて会釈する程度。にこやかな笑みを浮かべて、アルジェを客に見立てていた。

「お招き頂きありがとうございます、サー・クロム。素敵な夜ですね。あら、そちらのお嬢様は?」

 ふわりと微笑んだアルジェは、これまた軽く会釈をした。ベリルと違うのは、胸に手をあてずに、代わりに膝を少しだけ折っていたこと。

「私の大切な華ですよ。・・・緋天ちゃん、ここ、緋天ちゃんの出番」

 ぼんやり見とれているしかなかったと思う。流れるような二人の仕草は、完璧すぎて。

 ベリルが斜め上から、相変わらずの笑顔で見下ろしてきても、まだ判らなかった。呆れたように付け足された言葉でようやく我に返る。

「えっと、えっと、あの、何て言えばいいですか?」

「『緋天と申します、アルジェ様。』パートナーが振ってから、口を開くこと。あと、さっきのアルジェみたいに頭を下げてね」

「はい。えっと・・・こう?」

「そうそう、ちょこん、ってやるだけでいいから。大事なのは笑顔」

 左足を軽く引いて、ほんの少し腰を落とす。これでいいのだろうか、とベリルを見上げたら、頬をつつかれた。

「はい、もう一回ね。緋天ちゃんの場合、相手の名前が判らないのが当たり前だから、名乗るだけでいいよ」

 右手は彼の腕に置いたまま。仕切りなおし、とばかりに背筋を伸ばす。同時に目の前で、アルジェが先ほどと同じ仕草をしてくれた。お手本を見せてくれているらしい。

「そちらのお嬢様は?」

「私の大切な華ですよ」

 繰り返される言葉と、右上から降りてくる視線。

「緋天と申します」

 言いながら、軽く膝を折る。笑顔はうまく出来ただろうか。

「お初にお目にかかります、緋天様。ヴァーベインのアルジェと申します。仲良くして下さいませ」

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

 もう一度頭を下げて、ベリルを見た。にこりと笑ってくれているので、どうやら今のは正解。

「では、後ほど。失礼します」

 意外と退出が早い。ベリルがちらりとこちらを見るので、彼に合わせてアルジェに膝を折る。

 

「お、さすが緋天ちゃん。わかってるね」

 背の高い彼の腕の位置は、やはり高い。緊張していたから、変な筋肉を使ってしまったようで。右腕が痛かった。ベリルがわしわしと髪をかき混ぜても、怒る気になれなくて。

「とにかく全てをパートナーに任せること。今みたいに退出のタイミングとか、何か言うのもね。緋天ちゃんはさ、最後、ちゃんと私を見てたでしょ? そうやって、蒼羽を見ればいいんだよ」

 何かにつけて蒼羽を仰ぐ、という点については、大丈夫だろうと思う。彼に頼るしかないのだから。

「あと、自分から飲み物を取りに行ったりするのもダメ。何かを落としても、絶対に自分から拾ったりしない。何度も言うようだけど、お姫様なんだからね」

「ぅえー・・・?」

「・・・緋天ちゃん、ぅえー、って・・・。全部蒼羽にやらせること」

 お姫様なんて柄じゃない、と言おうとしたら、ベリルが先回りしてそう言い放った。どうやら本当に、映画の中のレディーファーストの感覚で全てが動いているらしい。少しも戸惑わず、きれいに動くアルジェは随分と慣れている様子。彼女の美しい振る舞いを見れば、時代錯誤な、と反論する気も失せる。

「お姫様が輝けるのは、お供しだいだからね。蒼羽と頑張って」

「はーい・・・」

「そんなしょぼくれた顔しない。いつもみたいに、笑ってよ」

 ぐちゃぐちゃだった髪を、ベリルが両手で直してくれた。乱したのは本人だったが、とにかくリクエスト通りに笑ってみた。アルジェのように優雅な笑みとは程遠いけれど。

「うん。可愛い可愛い。じゃあね、アルジェ、あとよろしく」

 元気付けに来てくれたのか、それともアルジェの顔を見に来たのか。

 完全に後者だろうな、と思いながら、それにしては自分ばかり構って、彼女への気遣いが足りない、と不満に思う。もしかしたら、それもベリルの作戦の内なのかもしれない。

 

「さて。じゃあ、基本的なマナーを教えるわね」

 それでも。

アルジェの声は彼が来る前よりも、幾分明るい。そんな気がした。

 

 

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