空を仰げば 6
自分は一体、何を求めて生きてきたのだろう。
予報士になる為の技術、名誉、地位、栄光。
それらを手に入れてしまったら、何を得る為に生きればいいのか。
蒼羽の横に並べる日がきてしまったら、誰の背中を追いかけて生きればいいのか。
それが唐突に分からなくなった。
分からなくなったのは、背中を向けた蒼羽が扉の向こうに去っていったから。
弱った緋天を、穴の外に置いて。
独りになる為に、どこかへ出かけてしまったから。
蒼羽のようになりたい。そう思っていたのに。
まず、今の自分にその技術が備わっていない、という事は、先日の一件で思い知った。
緋天の言葉に反発して外に飛び出して、そのせいで、彼女を危険に晒した事。それから、その事実に動揺して、二体の怪物化した雨を消せなかった事。影でアルジェが自失してしまった事も、自分のせいだ。
これだけ大きな失敗をしたのに、その咎めが公に出されなかった理由は。
緋天が関わっていたからだと知っている。
熱を出した緋天に無理をさせたくない。ましてや、彼女をセンターで襲った犯人が捕まっていない、という悪条件も付随していたから。蒼羽は今回の事件に、予報士見習いの失態が伴っている事を報告させなかった。緋天に更なる事情聴取の手が伸びる事を避ける為だけに。
「・・・困ったね」
大きな溜息、それを吐き出したベリルは珍しく真面目な顔で天井を見ていた。
「良くない傾向」
今、蒼羽がどこで何をしているか判らない。けれど、ベリルがぼそりと呟いた、良くない傾向、というのが蒼羽を指している事だけは判った。
何故、今になって緋天を突き放すように振舞うのか。
あれだけ大事に。間違いなく、蒼羽がこの世で一番大切にしているのに。
緋天が楽になる方法、正論を唱えるアルジェの言葉を遮ってまで、異様に大事にしているくせに。
「・・・あ、もしもし、緋天ちゃん?」
体の内で、何かやりきれないものを持て余していると、ベリルが柔らかな声を発していた。その手には
「元気、ではないよね。こっち来る? ・・・あ、うん、蒼羽はいないけど」
無条件で、優しい。
ベリルの声音を聞いて、そう思った。小さな子供や、大事な恋人、そういった類のものに対する包み込むような暖かさだと思う。
「・・・そっか。眠れなかったら、無理に寝なくてもいいんだよ」
けれど、緋天がそのベリルの優しさを求めているわけではないと判っていた。
かりそめの、優しさ。蒼羽の代わりにはならないと、承知の上での言葉。
「うん。じゃあね。・・・おやすみ」
最後に出された声は、低音で艶の混じる声。ほんの少し笑みを浮かべたその口から出された声。
ベリルは、きっと。
成り代われるものなら、本気で蒼羽のポジションに就こうとしている。
緋天がそれで満足して、安定して。それを見た蒼羽が安心するならば、彼の代わりを務めようとするはずだ。そして最終的に二人が元通りになればいいと、そんな事を考えて、今の声色を出したのだろう。
分かっている。ベリルは到底ありえない話だと、判っている。
判っていて、それでも、そうせざるをえない状況に追い込まれていた。
「・・・なに、その顔」
微笑の余韻を残したまま、ベリルがこちらを向いて言う。
緋天はそれほどまでに、大事にされている人間なのだ、と。蒼羽だけでなく、ベリルも、そしてアルジェまでも、大切にしているのだ、と。それを実感したら、力が抜けた。
「何で緋天を大事にしてんの?」
「・・・前にも言ったよ。緋天ちゃんは、蒼羽の一部になってるんだって」
「うん。それは判るけどさ、そうじゃなくて、何で緋天がその対象になったんだって事」
くすり、と笑うベリル。
笑われた事は腹が立ったが、それ以前に、知りたいという気持ちの方が勝っていた。
「それは私にも判らない」
出された言葉は、答えではなくて。
「判らないけど。運命じゃないかな・・・蒼羽には緋天ちゃんが必要だったんだ。笑ったり、生きてる事を感謝したりする原動力が、蒼羽にはなかったから。それを生み出すのが、緋天ちゃん。もう決まってる事なんだよ」
具体的な理由らしきものでもなくて。
「蒼羽には、緋天ちゃん。緋天ちゃんには、蒼羽。そういう運命」
緋天が以前に。
蒼羽でないと駄目だと。それは、はっきりしている、と。
そう言っていたのを、思い出した。
ベリルが今言ったのと、同義なのだろう。聞いたことはないが、蒼羽も同じように思っているはずだ。
「あーあ。女の子相手じゃないのに、すごいロマンチックな事を言ってしまった」
残念そうに、大仰に首を振るベリルを見て、何となく空気が緩和されていく。
早く二人に元に戻ってほしい、と。
緋天に笑ってほしい、と。
そう願うのは、蒼羽だけではないのだと。そうさせる何かを、緋天が持っているのだと。
自分もそう思っているのだと。
気付いてしまった。
気付いたら、悪い気はしない。
悪い気はしなかったが、どこか寂しい、と。
寂しいと思う気持ちを、相変わらず拭えない、と。
それにも気付いて。
怖い。
自分が何であればいいのか。
分からなくて、怖い。
緩和されていたはずの空気は、もう自分には届かなかった。
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