17.
「蒼羽、もしかしてご機嫌なの?」
月曜日。
今日は朝からセンターで蒼羽の総会行きの対策会議で。主だった部署の幹部メンバーが揃うのを待つ間、雑談が飛び交う中でアルジェがそう声を発するのが目に入った。
部屋の奥のいわゆる上座の席につく前に、右のラインの長机の真ん中辺りに座る彼女に声を掛けられた蒼羽は、口角を上げてみせる。
「そうだな」
つぶやいた蒼羽に、何それ、と眉をしかめるアルジェ。
「うっすら笑いながらここに入って来たからそう思ったんだけど。結局どっちなの?」
さすがに蒼羽の事は良く見ていると思う。確かに今日の彼は朝からご機嫌なのだった。そこらの人間にはまず見分けがつかないのだが。
「緋天さんは?今日は来なくてもいいの?」
「ん。ベースにいる。疲れてるから。無理して知らない人間の中で笑ってやる必要がない。今日は決まる事も少ないと思うし。次は連れてくる」
その言葉に傍目から見ている自分は思わず突っ込みを入れたくなったが、そこを我慢してアルジェの驚く顔を見る。
「・・・なんか蒼羽楽しそうね。緋天さんが心配だわ」
「アルジェさん。お茶どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
給仕の役をしていた若い男が手にしたグラスを彼女の前に置く。それににこやかに答える笑みには隙がない。厄介な事に彼女はその際立つ容姿と愛想の良さで、あっという間にセンターの連中の心を惹きつけていた。2人を背にしてこちらに向かい、そして横の席に座った蒼羽がいつもの無表情になっているのを確認した。
「蒼羽、緋天ちゃんを歩くのが辛い位に疲れさせたのは君じゃないか」
「・・・聞いてたのか。趣味が悪いぞ」
途端に眉間に皺を寄せる蒼羽に抗議する。
「聞こえたんだ。それに確かめたい事もあったからね」
目線を少しだけ彼女の方へ向けて見せると、蒼羽はさらに眉を寄せる。
「まだ疑ってるのか。第一今はもう緋天は何とも思ってない。やたら仲も良くなってるし。仕事だって・・・イギリスにいた時も問題なかった」
「君から聞いた話とは大分やり方が違うようだけどね」
「ベリル・・・それよりも気にならないのか?あのやり方は・・・」
蒼羽が何かを言い難そうにアルジェに視線を投げる。そこで結局言葉を切った。
「全員揃っているか?確認してくれ」
爽やかな笑顔を浮かべる叔父が部屋に入ってきて。蒼羽が口に出しかけたそれを聞く機会は完全に断たれた。
蒼羽から聞いた、そして自分で情報を集めた、イギリスでのアルジェの様子。それは本当に今現在のセンターでの彼女とは別人なのだった。
余計な話はしない、けれども仕事に関する事だけは的確に、完璧な対応を見せる。他の人間に話しかけられても冷たいと言える表情で言葉少なに答えを返す。
同じような態度の蒼羽と対になり、他の研修生や本部の人間には“凍結王子と氷姫”と呼ばれていた程らしい。当時の蒼羽としては余計な詮索や介入をせずに付き合えるので、仕事を進める上でこの上なくやりやすいと判断していた。
「まあ、何にせよ、ここの連中と上手くやってるようだね。蒼羽も大分変わったとは言え、まだまだ緋天ちゃん意外には冷たいしな。少なくとも一般的な社交性は身に着けた、と言う事か」
会議が終わり、ここには何の関係もない若い男達がこの部屋へと次々に現れて。何だろうと思えば、彼らは昼食の誘いをアルジェに申し込みにきたのだった。数人に囲まれる彼女を観察して、そして横に座る蒼羽に目を向ける。先程から彼のいない間の臨時の予報士を、自分の親戚に務めさせようと、必死で蒼羽に話しかけている男を平然と無視して、手元の資料をチェックしていた。
久々に本来の蒼羽の他人への無関心ぶりを目にして、思わずこぼれ落ちた言葉に蒼羽が目を上げた。
「・・・やけに突っかかるな。お前らしくない」
「べっつにー。君も最近はまるくなったと思ってたけど相変わらずだと再確認しただけじゃないか」
「・・・・・・もっと良く見ろ。お前なら気付くと思ったのに」
そう言って立ち上がった蒼羽は不満げに顔を顰めてから、微笑みのあふれる人垣へ近づく。それに気付いた男達は顔をひきつらせて身を引いた。蒼羽の残した、自分を責めるように吐き捨てた言葉が頭に響く。
「どうしたの、蒼羽?」
笑顔を浮かべて蒼羽を見上げるアルジェに、周りの数人は驚いた顔を見せた。蒼羽を呼び捨てにする事と、そして蒼羽が彼女に用事がある様子に驚くのも無理は無い。
「気になる事があるから。食事しながら話す。俺の部屋に来てくれ」
アルジェの眉がひそめられる。男たちは息を飲むか、不快そうな顔を見せるかのどちらかに別れた。
「・・・それって。ここじゃ言えない事?あと、今でないと駄目なの?」
「ああ。今すぐ。2人で」
言い切った蒼羽の言葉に、彼女の表情はさらに険しくなり、そして驚きと不満の空気が男の間に漂った。
「私、お昼ごはん買いに行かないと何もないんだけど?」
「部屋に用意させる」
「何だか命令みたいね」
蒼羽の有無を言わせない雰囲気に、アルジェの方は今度は笑顔を浮かべる。
「命令の方が来やすいか?それなら言うけど。“今すぐ、俺の部屋に来い。上司命令だ。”・・・お前の立場は俺に逆らえるのか?」
上からたたみかける様に、威圧的にそう言う蒼羽に、完全にその場の空気が凍る。今ここで文句を言えば、蒼羽に逆らったとみなされ、センターでの立場が危うくなる。それが判っているだけに、彼女を取り巻く男の間から、誰一人蒼羽に進言する者が出てこなかった。
「・・・わかりました。すぐに伺います」
敬語で答えるそれは、彼女の精一杯の反抗だろうか。その声が弱く響いて、そして椅子を引いてアルジェは素早く立ち上がる。
「蒼羽・・・、何を」
その偉そうな態度は今までにも良く見ていたものだし、そしてその権力を話の通じない相手に誇示して、自分の仕事をやりやすくする手管も実は自分が教えた物であったし。蒼羽が何か話があると言うのは本当にそうなのだろうと思う。けれどもそこまで強引にして、一体どんな事を話すと言うのか。もし仕事上の事なら、自分が何も聞かされていないという事はありえない。
おかしいと感じて、部屋を出ようとする蒼羽の背中に声を掛けた。
「ベースで食事はしない」
振り返った蒼羽の冷たい視線が突き刺さった。
そんなもの、何度も目にして慣れているはずなのに。目を逸らしてしまいたい衝動にかられる。
「・・・緋天に伝えておいてくれ。2時頃戻る」
付け足された言葉だけ、穏やかな音の流れを作る。それを聞いて安心する自分は一体何の心配をしていたのだろう。
「何だか今日の蒼羽さんはご機嫌が宜しくないようですね。あのアウトサイドの子と喧嘩でも?」
部屋を出た2人の姿が完全に消えて。先ほど蒼羽に熱心に話しかけていた男が、自分の訴えを完全に無視された事を彼の機嫌の悪さからだと判断して。苦笑を湛えて自分に話しかけてくる。確かに今のやり取りを見れば、蒼羽の機嫌は悪いものだと普通は判断されてしまうのだろう。
普段から彼をちゃんと見ていれば、そんなものはただの仕事用の技巧だとすぐに判るのに。
肩をすくめて、やれやれと大げさにため息をつく、その薄笑いに嫌悪感が沸いてくる。
「ヒテンさん?に頼んだ方が早いかもしれませんね。何しろ話も聞いてくれないようだから。彼女を介せば蒼羽さんは耳を傾けそうですね。そう思いませんか?」
もうかなりのご執心ぶりなんでしょう?
声をひそめてにやつく男に我慢がきかず席を立つ。
「どちらへ?ああ、ベースで昼ごはん、でしたね」
「・・・無理だと思いますよ。蒼羽が貴方を緋天ちゃんに近付けさせるような馬鹿な事はしないと思いますから」
男の顔色が変わったのを目にしてから。
早く可愛らしい笑顔を目に収めて、気分を入れ替えてしまおうと、会議室を後にした。
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