1.

 

9月1日。正午。

 

ぐしゃり。

 不快な音が、静かなベースの中に響いた。

 

 扉を開けてすぐに、緋天は、と問いかけてきた彼。

例えば、他の人間なら。まず目の前にいる相手の名を呼んで、調子はどうだ、とか、お疲れ、とか。そういった事を口にするのだけれど。蒼羽は自分に、ようマロウ、などと気軽に声をかける事などしなかった。今まで、ほんの少し前までは、普通とは違うそれを、普通だと認識していたのだが。ここ最近は、もう少し時が経てば、そんな事が実現しそうな気がしている。

 

ただ、今日は。

彼女がセンターにいると判っているはずの蒼羽が、そう聞いてきたのは。

ベリルの不在を、ぐるりと室内を見回して知ったことによって、何かを悟ったのかもしれない。

 緋天はセンターにいる、ついでにベリルもセンターに向かった、と自分が答えたら、眉をひそめて不機嫌そうに視線を彷徨わせたのだ。

 

響いたその音の発信源をそっと横目で見る。蒼羽の左手がぎりぎりと元は1枚の紙だったものの形を小さくしていた。

「・・・ベリルさん、何て言ってますか?」

 ここに入ってきた時は、いつも通りの無表情。ベリルからの置手紙を手にした時は、ひそめられた眉が、顰められた。今はもう、蒼羽の機嫌がかなり悪いのだと手に取るように判る程の、鋭い目。

 声をかけた自分をあっさりと無視して、蒼羽が玄関へ続く扉へ向かう。

早足に歩きながら、左手の紙くずをカウンターの奥の小さなゴミ箱に投げ入れた。それは寸分の狂いもなく、きれいにゴミ箱の中に収まる。 

「行ってらっしゃい」

 ほんの少し、抑えられなかった笑いを交えて、蒼羽の背中を送り出した。

 

 

「最近さー、蒼羽って調子乗ってると思わない?」

 1時間程前、ベリルが不満げな顔をして、そう自分に聞いてきた。そんな質問に答えられるはずもなく黙っていると、独り言のようにベリルが言葉を続けたのだ。

「もう、何かと緋天ちゃんにくっついていようとするしさぁ。それも独占欲丸出しで。私だって緋天ちゃんと色々話したいのに、ヤキモチ焼いて触らせないようにするし。本当、困ったもんだよ、あれ」

 それはあなたが何かにつけて、2人をからかうせいではありませんか、と言いたいのをかろうじて飲み込んだ。自分は蒼羽をからかおうとは思わないけれど、確かに無表情の彼が緋天の事になると今までと違う反応を見せる。それはかなり面白くて、いけないと思いつつも、ついついベリルの行動を止めずにいる自分が存在していた。

「だから、今日は蒼羽をこらしめてやろうと思ってさ。ま、楽しみにしといてよ」

 そう言いながら嬉々とした顔でベリルは蒼羽にあてて置手紙を書いて。

 極めて真面目な仕事の用事でベースを訪れた自分に、蒼羽の焦り顔を一番に見るのはマロウだね、などと、自分の気持ちを見透かした顔でにやりと笑って出かけて行った。

 

 

 蒼羽が玄関の扉を乱暴に閉める音を聞いて、好奇心に勝てずにゴミ箱の中の紙くずを拾い上げる。

その塊をていねいに元に戻した。

 

『蒼羽へ。

 今日は例の専門家との顔合わせ、2時からだから忘れずに来いよ。

 私は一足先に行って、緋天ちゃんと楽しいランチタイムを過ごす事に決めた。屋上でさ、ピクニック気分で。私の作ったサンドイッチをおいしそうにほおばる緋天ちゃん。ああ、なんてかわいいんだろうね。思わず食べたくなってしまうよ。あ、もちろんサンドイッチをね。

 2人じゃ寂しいから、センターの若い連中も呼んでやろうと思って。ほら、たまには癒してやらないと。ストレスとか溜まりそうだし。

 君がこれを読むのは多分、1時頃? 君の分は冷蔵庫にあるから。安心して。誰も君の分を取ったりしようとは思わないよ。まあ、たまには。安全が確保されてたら、つまみ食い位はするかもしれないけど。

 じゃあ、2時には遅れるなよ。             ベリル』

 

 

「蒼羽さん、今頃走ってんのかな」

 知らず知らず、苦笑が漏れる。必死にセンターへと急ぐ蒼羽を想像すると、笑いが止まらない。

 手の中の、しわしわの紙をまた元の塊に戻して。

 ゴミ箱に落とした。

 

 

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