17.

 

「蒼羽のお父さんは、蒼羽と同じ、予報士だったんだ」

うなずいて、それから黙り込む緋天に、話を始める。

「緋天ちゃんが、小さい時、こちらに迷い込んで、その時、雨が怪物化したんだね。それに追いかけられて。助けたのが、蒼羽のお父さん」

 

緋天が、泣きそうな目をして、口を開いた。

「・・・しばらく、2人で話をしていたんです。それで・・・あたしが女の人を見た、雨の中で笑ってた、って。そう言ったら、急に厳しい顔になって。あたしを抱えて、どこかに置いて。急いで、走って行った」

 すがるように、自分を見て。小さな声を出す。

「あれは・・・あの人は・・・・・・もしかしたら、雨に、触れて」

 オーキッドが顔を両手で覆って、先を引き継いだ。

「・・・急な雨だった。防ぎようがなかったんだ。・・・まさか、あの子が・・・・・・」

 悲痛な声を出す、オーキッドが、それを押さえて、何とか続きを言おうとする。

 

 

 「・・・母さんだった。雨に、触れたのは、母さんだった」

 

 蒼羽が、何かを受け入れて、緋天を見ながら言う。

 

緋天の目から、涙がこぼれた。

 

 

 

 

「あたし・・・助けられた事を忘れてたの。夢はいつも、追いかけられて、捕まえられた所で、終わり。起きたら、全部、忘れてた」

 

 ベリルとオーキッドが、部屋を出て行って、2人になった。ずっと緋天を抱きしめたまま、黙ったままだった、その空間で。ふいに緋天が口を開く。小さく響いたそれに、ようやく自分も当時の事を口に出せるようになったのだと、妙な安堵感が訪れる。

 

「あの日、母さんが、おかしくなって。自分から、川に飛び込んだんだ。・・・それを、父さんが助けに行って・・・2人とも、いなくなった」

 

 それを口にする事で。緋天に教える事で。

 ずっとしまいこんでいた気持ちを解放できたのだけれど。

 彼女の双眸からこぼれた涙を見て、罪悪感も込み上げる。こんな事を言って、緋天にとっては重苦しいだけだったのだ。自分の為に泣いてくれる彼女を愛しさで包み込む事が伝わればいい。

「・・・いいんだ。もう、いいんだ。今までは、ずっと、思い出さないようにしてた。だけど、今はもう、目をそむけない。ちゃんと、受けとめた。だから、泣かなくていい」

 緋天の涙を親指でぬぐって、出された声は穏やかな流れを作って。

「今は、いいんだ。緋天がいてくれたら、それでいい。それだけで、周りの人間も、景色も、はっきり見える」

 そう言って、髪をなでる。それだけで、自分の気持ちも緋天の気持ちも落ち着いたように感じた。

「だから、もう、誰にも渡したくない」

 緋天だけが、至宝の存在だと。自分にとっての生命力のようなものなのだと。

 それを理解してほしい。そして自分のものなのだと確かめたかった。

「どこにも行かない。ずっと蒼羽さんと一緒にいる」

 小さい声は、耳にしっかりと届いて。その声も、言葉も。全身を痺れさせる。

甘い感触をもっと確かなものにする為に、柔らかな唇に口付けた。

 

 

 

 

―――君と同じくらいの、男の子がいてね。日本の漢字が好きなんだ。一つ一つに意味があるだろう?まだ判らないかな?

―――ひてんのなまえも、かんじ、だよ。

―――そうか。それでね、漢字の名前を、僕の子につけてね。その意味はね・・・

 

 

 

 

「・・・どこまでも青い青い空に、自由に羽を広げて飛んで行ける」

 澄んだ声で、何かを朗読するように。

 緋天が少し遠い目をして、言葉を紡ぐ、その様子に息を呑む。

 何か神聖な、そんなものを見ている気がして。声をかけるのが躊躇われた。そこにまた緋天の言葉が続く。

「だけど、それは。その、自由は。いつでも羽を休めて、誰かを助ける事のできる自由。・・・強く、優しい子に育ちますように」

 

 どこかで聞いたことのある、それ。

 それを考え出したのは、間違いなく。

 

 

―――君は、穴が見える。通れる。いつか、僕の子に会えるかもしれない。

 

 

「お父さんが、蒼羽さんのお父さんが、あたしに教えてくれたんだよ。いつか、僕の子に会えるかもしれない、って。そう言ってた」

 微笑んだ緋天から届けられた、過去の言葉。

 常に頭にあった、追いかけていたその背中。自分の父親の、その言葉。

 

「会えた、ね」

 顔を見合わせて、笑顔を見せた彼女に。

 伝えなければいけないのは。

「ちゃんと、蒼羽さんに、会えた。・・・思い出して、良かった」

「ん。・・・ありがとう」

 自然と微笑んで、緋天に感謝の言葉を捧げた。

 

 

 

 

「どう?落ち着いた?」

 廊下でうろうろと歩き回り。

 経過していく静寂な時間は、蒼羽が会議室のドアを開けた音で終わりを迎えた。彼の体の右後ろには、目を赤くした緋天の姿。

「ああ。父さん達の事は全部、話した」

 蒼羽が答えて、自分の顔をまっすぐ見る。すっきりしたようなその顔を見て、笑みを返す。

 何か、彼の中では大きな変化があった気がする。

 

「緋天ちゃんも、もう、嫌な夢を見なくなるんじゃないかな」

「はい。助けられた事、思い出しましたから」

 満面の笑みで、緋天が答えた。それを見て少し、心が痛む。これから、その笑顔をまた崩さなければならない。

「・・・そっか。あのさ、ちょっと、厄介な事があるんだけど。・・・今日は話さない方がいいかな。蒼羽はどう思う?」

「どうせ知らなければいけない事だから」

 蒼羽が緋天の目を見て、続ける。

「・・・これから、また、怖い思いをする。でも、知っておかないと、ここには、もう来れない。聞けるか?」

「ちゃんと聞く。だいたいは判るよ。さっき、部屋で外を見てた人達。雨が柵の外で怪物化した事に関係あるよね」

 しっかりした目で蒼羽の目を見返して。緋天が凛とした表情を見せた。

 2人の間でつながれた手に、力が入ったのが判ったけれど。

そこには、もう、怯えた子供の顔はどこにも見当たらなかった。

 

 

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