1.

 

「おはようございまー、す・・・」

いつもの通りとは言えない、変に小さな声で朝のあいさつをしながら扉を開けた。

 

今日も気持ちいい快晴。

ここに初めて来てから、もうすぐ2週間たつのに。かつてないほど、思いきり緊張していた。服を選ぶのもいつもより倍以上の時間をかけて。普通っぽく、普通ぽく、とつぶやきながらクローゼットをかき回した。

結局、うろうろ歩き回る自分を見かねた母親が出してきた白いフード付きの半そでニットと、カーキ色の7分丈パンツに決めて、やっと落ち着いたのだ。

電車の中でも、蒼羽に会ったら普通に普通に、と自分に言い聞かせてきた。昨日はベリルと門番にさんざんからかわれて、逃げるように家に帰ったので。蒼羽に会ったら笑ってあいさつできるか不安だった。

 

 

部屋の中を見回すと、彼がソファに座っていつかと同じようにTVを見ていた。ベリルが見当たらなくて内心焦る。

 

蒼羽が自分を振り返って見て。

少し笑って自分の隣を示す。

どきどきしながら彼の横に座った。

「お、おはよう、ございま、す・・・」

そっと、蒼羽を見上げると。昨日初めて見た、とろけるような笑みを浮かべて自分を見ている。

「っ、う、あぁぁ。蒼羽さん。その笑顔、心臓に悪いよぅ・・・」

一瞬、普段の無表情に戻って蒼羽が口を開く。

「何でだ?」

「えぇ?だ、だって。かっこよすぎるから・・・」

うつむいてつぶやくと、視界の端から蒼羽が腕を伸ばしてくる。

「自分じゃ判らない」

そう言って腰を引き寄せると、笑ってキスを落とす。そのまま抱きしめられて髪を優しくなでる。頭の上に柔らかいものが触れる。蒼羽がそこに口付けていると遅まきに気付いて。もうどうすればいいのか本当に判らなくなってしまう。

「っ、そ、蒼羽さんー」

「ん?」

「ベリルさんはどこデスか?」

この状況から逃れたくて。心から。ベリルの助けが欲しかった。

「・・・庭。それより、敬語。やめろ」

苦笑して蒼羽が言う。

「うぅ、そうだったー。なかなか抜けないし・・・。あぁぁ、そうじゃなくて。これ、なんかマズい気がする」

「そうか?」

髪をなでていた手を、今度は耳に移して、そっとピアスに触れる。耳の上の辺りを甘噛みされて。全身に電流が走った。

「っにゃ!あぁー、もう、蒼羽さんってば。ベリルさんにこういう所、見られたくないよぅ。だから、離してー」

 

 

 

 

 半泣き状態の声で訴えられて。仕方なく彼女を離した。顔をのぞき込むと、目にうっすら涙を浮かべて自分を見ている。その表情がたまらなく可愛くて、もう一度手を伸ばそうとした。

 

「緋天ちゃん、来たのー?」

ぱたん、と玄関の扉が閉まる音がして、それに続いてベリルの声が聞こえた。ほっとした表情の緋天を目の当たりにして、そんなに嫌なのかと思ってしまう。

「はぁぁ。ベリルさんー。朝から『蒼羽さんスマイル』に心臓をわしづかみにされてしまいました・・・。これ絶対、体に悪いですよー」

緋天の言葉を聞いて、ベリルは驚いた声を出す。

「え?何それ?蒼羽が笑うのって珍しいけど、そんなすごい物なの?」

「すごいですよー。えっとね、『微笑』とか『苦笑』とか『薄く笑う』とか、そういうのじゃないんです。すーーーごい、かっこいい感じに、にっこり笑うのが『蒼羽さんスマイル』なんですよー」

ソファ越しに緋天とベリルは話を続ける。

「うわ、何それ?私も今までそんなの見た事ないよ。そうだなー、一番多く見た事あるのって、『嘲笑』とか『薄く笑う』だし。もう、蒼羽、君は・・・緋天ちゃんの前でだけ普通の人っぽいんだから。困ったもんだねー」

ベリルがため息をついてこちらを見た。そこにはからかう種が出来たと言わんばかりの笑み。邪魔をしたベリルを容赦なく睨む。

「あぁ、睨まれた・・・。緋天ちゃん、本当に蒼羽でいいの?後悔しない?なんか、蒼羽ってすっごいヤキモチ焼きそうだよ・・・」

「ええ?蒼羽さんがヤキモチ・・・?考えられないー。蒼羽さん、そんな事しなさそう。いつも冷静って感じですよ?」

「そうかな・・・何しろこんな蒼羽初めてだしなぁ。緋天ちゃんに対しては、普段の蒼羽と違う行動取るし。これからが大変だって」

少し真面目な顔をして、ベリルが緋天に言う。その表情にたじろいで、緋天は自分を見た。

「えっと・・・蒼羽さん?ヤキモチ焼いてくれる?」

彼女の期待するような顔を見て、口を開こうとしたら、ベリルの視線を感じた。にこにこ笑って自分を見ている。

「・・・っ。ベリル。・・・変な事吹き込むな」

「はいはい。・・・えーと、今日も、緋天ちゃんセンターだね。何か進展あった?」

ベリルが話題を変えて緋天に向き直る。

「うーん。なんか、あそこ、あたしがいなくてもいい気がするんですけど?いつも質問してる途中で、研究者の人達で議論が始まって、それでその場が盛り上がって終わるんですよねー・・・」

困った顔で緋天が笑って言った。

「ああ。あの人達もねー、まだ具体的にどうするか、方向が定まらないんだよ。しばらく付き合ってあげて」

ベリルが苦笑して説明する。

「はーい。じゃあ、そろそろ行ってきまーす」

そう言って元気よく緋天はソファから立ち上がる。それに続いて立ち上がって、口を開いた。

「俺も行く」

「え?蒼羽さんも用事あるの?わーい。一緒に行けるー。えへへ」

 嬉しそうに自分を見上げるその笑顔を、誰にも見せたくないのだと確信した。

「緋天ちゃん、えへへって・・・。もう、どこまで君は純粋なんだ。いつか何かに騙されるよ?蒼羽は他の奴らに見せつけに行くんだから」

 自分の行動の意味を、これからセンターで何をするのかを。把握しているベリルは自分を見て、そして緋天に余計な情報を与える。

「え?見せつけるって何をですか?」

「・・・緋天ちゃんに決まってるでしょ。センターの奴らが手を出さないように。まあ、それは正しいとしても、蒼羽の下心には気付くようにしないと」

「ええ?あたしなんか誰も気にしてませんって。大丈夫ですよー。それに蒼羽さんは本当に用事あるんでしょ?」

「・・・ああ」

 笑顔で見上げられて、うなずいたのだが。本当はベリルの言う通りで。

「ほらねー。蒼羽さん、そんな変な事する必要ないもん」

緋天の激しい勘違いにさすがのベリルも何も言えないようだった。

ちらりとこちらを見てから、小さく首をふる。

「・・・緋天ちゃんー。はあ。・・・はい、これお弁当。気を付けてね。・・・蒼羽に」

「???ありがとうございます。ベリルさん、またお母さんモードに入ってるし・・・。じゃあ、本当に行ってきまーす」

 

 

 

 

 元気に出て行った緋天と、隣に並んだ無表情の蒼羽を見送って。その様子に笑いながらも不安になる。蒼羽が人並みに、常識的に。彼女と付き合っていけるのかと。そんな疑問で頭がいっぱいなのだ。

「あーあ。これから蒼羽が暴走しそうで怖い・・・。緋天ちゃん、蒼羽を受け入れてくれるかなぁ・・・」

 

 

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