1.
「ベリル、なんだ、あの気味悪いやつら」
「・・・いきなりドア開けてそれ?」
ばたん、と些か乱暴に玄関のドアが開く音に続き、遠慮の欠片もない言葉とともに部屋に入ってきた男。
そろそろ夕飯の準備でも、と。先日、誕生日祝いにと緋天にもらった料理本を広げたところだった。入り口に背を向けてソファで寛いでいたのだが、発せられた声が誰のものかはすぐに分かる。
「久しぶりだな・・・一年ぶり?」
横のソファにどさりと体を預けた彼に最後に会ったのは、前回の冬の二家合同パーティーだった。大事なイベントであるのに、その特異な仕事柄か、どうやら今冬は間に合わなかったらしい。
「・・・もしかして、わざと?」
「いや、さすがにそんな勇気はない。わざとやっても、すぐバレるだろ?」
帰宅し、参加したところで、彼にかかる言葉は容易に想像がつく。つい先ごろまで、自分が言われていたのと、全く同じものだからだ。アルジェをパートナーとして公にした今は、もう自分へはかけられない声だったが。
それを煩わしいとして、故意に参加を避けたのかと、ちらりと思ってしまったのだ。彼ならば、やりかねないから。ただ、返ってきた答えはもっともで、叔父に分からない訳がない。
「まあね。とりあえずお帰り、ジー」
「ああ」
気だるそうに返事をする彼は、相変らず。
「で? あの気持ち悪いのはなんだ?」
コートを脱ぎながら、部屋に入ってきた時と同じ言葉を口にする。気になったことを追求する癖も相変らずだった。
「気持ち悪いのって何のこと?」
「外にあった、小さいやつらだよ。何の悪戯だ? 一瞬、何かの宗教かと思った」
「あー、あれか」
庭の入り口から、玄関にかけて。
緋天が作った小さな雪だるまが、ところ狭しと並べられているのだ。誰かが手伝わなくとも、彼女が一人で作れるサイズのそれらは、日々増えていく。見慣れた光景となった自分たちは何も感じないが、確かに初めて目にする彼には、一種、異様なものに映ったのだろう。
「あれはね、緋天ちゃん作」
「・・・おいおい、随分シュールだな。噂の蒼羽の女だろ」
「うわ、ちょっと・・・それ、本人の前で言うなよ。蒼羽がキレるし」
彼にとってはただの可愛い遊びではないらしい。
そもそも、彼が家でのんびりとせずに、寒い中ここまでやってきた目的は緋天であるはずだ。彼女を目の前にして同じ事を言わせるわけにはいかない。
「・・・って、煙草! ここで吸うなって!!」
「あ? お前、禁煙してんだっけ?」
「もう緋天ちゃんが帰ってくるんだよ」
のんびりと紙巻煙草に火をつけた彼をねめつける。
緋天は煙草が嫌いだ。それ以前に、自分が吸ったそれがきっかけとなり、昨年のシュイの騒ぎが起こったのも記憶に新しい。自分の姿に怯えた緋天が、マルベリーを訪ねることにつながったのだから。罪悪感がよぎるのだ。
「おい、気ぃ遣いすぎじゃねーの?」
「そういう問題じゃないって。まあ、どっちみち、蒼羽がうるさいぞ」
「ふーん・・・なんか想像できないな」
「それ吸い終わったら換気しとけよ。ちょっと出かけてくる」
思案顔で煙を吐き出す彼に言い置いて、ジャケットを羽織った。このまま夕飯を共にするであろう彼を思うと、食材が足りない。五分ほどで戻って来られることを理由に、廊下側ではなく、外へとつながるガラス扉を開けた。
「先に入ってろ」
冷たい風にさらされた頬を、漆黒の、冷やりとした感触の革手袋に包まれた蒼羽の指先が撫でた。
もうそろそろ夕焼けに包まれる時間帯。短くそう発した彼の言葉と同時に、既に背中が、もう一方の左手によってやんわりと道の先へと押し出されていた。
「すぐ行く。少し話すだけだ」
何故急に、と。
半身をひねって蒼羽を仰ぐと、彼の視線がちらりと門番の横に立つ男を指し示した。通常の門番業務についている、クレナタとマロウ。その二人とは別に、門番隊長だと前に聞いた、ナツメが立っていたのだ。
特に理由もないのに、この寒い中、彼がいる訳ではないのだ、と。
のんきに挨拶を交わしてしまったが、それだけではなかったのだとようやく気付いた。蒼羽の用事なのか、ナツメの用事なのか、それとも両方なのか。それは分からないが、とにかく、蒼羽が先に行けと促すのは、多少時間を取るからだろう。心配しすぎではないか、と思ってしまうほど、蒼羽は自分が少しでも外に留まるのを嫌がる。風邪を引かせまい、と気遣っているのは分かるが、どうにも慣れない。
「緋天」
「うん」
大丈夫なのに、というやり取りをするのは、この冬で何度繰り返しただろう。それをする気力はとうに殺がれていたから、蒼羽の促す声に頷いて、一人、足をベースへと向けた。本当は、言い返せば、たちまち蒼羽の論説に丸め込められるか、甘い声音に陥落してしまうから、反抗するのはやめた、というのが正しいのだけれど。
一人になったのだから、小さな雪だるまを作るくらいはいいだろうか、と。
蒼羽の様子を確認するつもりで振り返ったら、門を背にして、彼の視線は明らかにこちらを向いていた。
「・・・むー」
もう声の届かない場所にいるが、曰く、早く中に入れ、という視線。
仕方なく足を動かして、ドアを開ける。暖かい空気に全身を包まれて、どことなく強張っていた体から、力が抜けた気がした。
「ただい、」
いつも通りにベリルの柔らかな、お帰り、という声が返ってくるものだと。
何の気構えもなしに廊下を進み、リビングに続く扉を開けながら、ただいまを言いかけた。
「あー、・・・これか、・・・って子供じゃねーか」
「・・・え、・・・」
ふわ、と鼻先に届いたのは、煙草の香りだった。
中央のソファに、やや気だるげに体を預けて、いつか見たものと似たような長い紙巻煙草を指に挟んでいたのは、ベリルではなく。
紺色の目が。
試合に臨む格闘家のような、一分の隙もない、強い視線が。
一瞬、自分を突き刺してから、彼の口元にその煙草が運ばれていく。
「おい、怯えるな」
無意識に一歩後ろに下がった。
そうしてしまったのは、低い声で、心底呆れた、というような言葉を自分に向けて彼が発したからではない。苦手な紫煙と、それから、その強すぎる刹那の視線が恐ろしかったのだ。
そんな風に、怖い、と分かったのは、既に体が踵を返して、震えそうになる足が、一生懸命、前へと進んでからだった。ばたん、と行儀も何も忘れて玄関のドアを乱暴に閉めてから、足先は迷わず蒼羽を目指してしまう。先ほどベースに入る前に見たのと同じように、探すまでもなく、蒼羽は門の傍に立っていた。
「っ蒼羽さん!」
彼の元に辿り着くより先に、蒼羽がこちらを向いてくれたから。
走りながら蒼羽を呼んで、そして。
「どうした」
早足で近付いてきた彼がそう言いながら、伸ばした腕に収まった瞬間。ほっとしながらも、とんでもない事をしてしまった、と気付いた。
「・・・あ、どうしよう、・・・お客さん」
そもそも、ベースに身元不明な怪しい人間がいる訳が無いのだ。
センターの関係者か、フェンネルのように蒼羽やベリルに許可を与えられた友人、もしくは彼らの家族だろう。しかもベリルが見当たらなかった事を考えれば、一人であの場にいる事を許された、ごく親しい人間。
客人以外であるはずが無い、と。
「・・・何かされたのか?」
頭の上で困ったように蒼羽が呟いて。
それは、自分が発した言葉に疑問を持たず、彼はベリル以外の誰かがベースにいることを知っているように聞こえた。
「え、っと・・・」
「ジーセだろう。匂いがついた」
恐怖に駆られ、門番たちの前で恥ずかしげもなく蒼羽にしがみついていた事に、ようやく気付く。離れようと身を引けば、それを止めた彼が、髪を梳きながら不機嫌そうな声を出していた。
「・・・お客さんの名前? ジーセ、さん?」
「半刻ほど前にお通りになりましたよ。ジーセ様ではありませんでしたか?」
「帰るぞ。・・・ナツメ、後で来い」
「はい」
相変らずの、頭の上の蒼羽の声。
それから、体の右側でクレナタの疑問の声と、蒼羽に返事をするナツメの声。
「え?・・・あれ?」
手をつないで歩き出したはいいものの、早足気味の彼に引っ張られるようになっていた。背後では、苦笑した門番たちがこちらを見送っている。こんな彼は珍しいと思いながらも視線を上げると、その横顔が。
むっとした感じを通り越して。
怒っている、というのが、よく分かった。
「・・・ベリルはいないのか?」
「っ、う、あ、分かんない・・・」
幾分、声音は和らげられていたが、流し見る目は厳しいまま。焦って出した声は更に蒼羽の眉根に皺を刻んだ。彼の知り合いらしき男性に挨拶をせねばならない、とそれを思うと、若干、気後れがした。あの強い視線の下に、再び晒されるのが怖いのだと蒼羽に告げることもできず。
思いあぐねている内に、再びベースに辿り着き、玄関を抜け、廊下を進んでいた。
廊下の奥、先ほど自分が開け放したままのドアの向こうには、焦げ茶色の髪の男性。彼を視界に入れた蒼羽は、入り口で足を止める。
「今すぐそれを消せ」
そう言い放った蒼羽を、放心したように見上げた彼の指には、紫煙を上げる煙草。
「ほらね。蒼羽がうるさいんだって。ま、今は緋天ちゃんがいるから、私もうるさいよ」
耳に入ったのは聞きなれたベリルの声で、ソファに座った男性に近付いて、その指の煙草を取り上げるところが見えた。蒼羽が入り口を塞ぐように立っているのと、ベリルの体に隠されているのとで、彼の反応が良く見えない。
「・・・なんつーか」
大きな嘆息が聞こえて。
ああ、自分のせいで、彼に呆れられ、それが蒼羽にぶつけられる、と。
そう思ったのだけれど。
「蒼羽、お前のその顔・・・ウィストそっくり」
ふ、と。
優しく笑む音がした。
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